高松宮記念を勝った珍名馬オレハマッテルゼ

データで制する高松宮記念

2003年から2007年までJRAの競走馬として活躍したオレハマッテルゼは、珍名馬としても多くの競馬ファンに愛されていました。この珍名馬であるオレハマッテルゼは、7歳で現役を引退するまでに9勝をあげ、6歳の2006年3月には、G1競争である高松宮記念を制しました。この馬のデビューは3歳の5月と遅く、初勝利は同世代の馬が皐月賞とダービーを終了した7月の小倉でした。4歳の春以降成績が安定し、4歳の4月から12月までに出走した6走はすべて3着以内に入る堅実な走りをしました。そして5歳になった2005年、5月の重賞である京王杯スプリングカップで2着に検討し、その後の活躍が期待される存在になりました。続いて安田記念に出走しましたが、このレースは11着に敗れました。それから休養をはさんで11月のキャピタルステークスへ出走し、ここで勝ってオープンクラスでの初勝利を飾りました。そして6歳になった2006年、珍名馬オレハマッテルゼは、1月の東京新聞杯で2着、次の阪急杯は3着と好走しました。しかしG2やG3で勝ち切れない内容だったため、鞍上の柴田騎手は「距離が短い方がいいかもしれない」と考えでG1ながらも1200メートルと短距離の高松宮記念への出走を関係者に進言しました。これが馬主の意図とも一致し、出走して見事に勝利を収めました。このG1高松宮記念も勝ちは、調教師の音無秀孝にとって初のG1タイトルとなり、馬主の小田切有一にとっては21年ぶり、また騎手の柴田にとっては6年ぶりのGI勝ちとなったのです。その後、安田記念を目指してトライアルの京王杯スプリングカップに出走し、見事に逃げ切り勝ちを果たしました。しかし安田記念は1番人気ながら10着に敗れ、休養に入りました。休養明けは10月のスプリンターズステークスに出走しましたが9着に敗れ、次走のスワンステークスも5着、12月の阪神カップも14着と精彩を欠いて2006年は終了しました。2007年は初のダート戦となるフェブラリーステークスから始動しましたが、しんがりの16着に敗れ、続いて連覇を狙って出走した高松宮記念でも5着に敗れました。その後、京王杯スプリングカップで3着、安田記念18着で夏の休養に入りました。秋も3走しましたが勝てず、11月12日に引退が発表され、11月14日付でJRA競走馬登録を抹消されました。2008年から北海道浦河町のイーストスタッドにて種牡馬になっています。